"ゲーム"と"教えること"

修士時代の指導教官である中原先生のブログを読んで、
感じたことがありましたので、私も便乗して?更新してみます。

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先生のブログの内容を一言で(乱暴に)まとめると、
「『教えること』や『知識を伝えること』が意味が過剰に軽視されていないか」
という事だと思います。

私も、「『知識習得』はゲームにあまり向かないのでやめましょう」と、
これまで各所で述べてきていますので、ブログに出てきたような、
「『知識伝達』はいけないことなのでしょうか?」というようなお話をされたことがあります。

ゲームで学ぶ手法というのは、「現実での経験学習」に比べると、
・重要な項目を抽出できる
・現実では体験困難な状況を体験できる
などのメリットがありますが、
それでも「講義」に比べると「時間がかかる」手法であることは間違いありません。
言葉で伝えれば「一言」かつ「数秒」で済むことを、

ゲームの場合数時間かけて実施することも良くあります。

近年、主に大人の学びの中で「気づき」という用語が流行しています。

ゲームを用いた研修などではこの「気づき」が重視されています。
「気づき」というのに明確な定義があるのかは知りませんが、私の理解では、
「ある現象の本質を理解する」「既有の知識や経験となにか(理論)の関連性を見つける」
などの意味で「気づき」ということばが使われているように思われます。

なんの理論的な背景もないですが、

「知らないことを気づく」というのはかなり難しいことでしょう。
「ある『学習』によって、既に知っていたことを自分のものとして再配置すること」
これを起こすには「既に知って」いないとできないということはいうまでもありません。

私の立場から言わせて頂きますと、
「知識習得は知識習得でなんとか上手くして頂いて、ゲームではゲームでできることをやりましょう」
ということですね(笑)

(「知識習得を上手くする」ためにゲームの仕組みを用いる…という手法もありますが、

今回は置いておきます)

それでは、今日はこの辺で。