先日、構造主義と構成主義とゲームということに関して、
ちょこっとツイートをしましたら思いの外反響がありましたので、
今日はそのあたりのことを書いてみようかなと思います。
ものすごくざっくりとした議論をしますので、
「まぁ、そういう面もあるよね」位の気持ちでご覧いただければ幸いですし、
毎度のことですが、「どちらが良い」という話をする気は毛頭ありませんので、
その点、ご承知おきください。
自分で書いてきた記事と重複もあるかと思いますが、
一口に「ゲーム学習(Game-based Learning)」と言っても、
大きく分けて、「構造主義的なもの」と「構成主義的なもの」との、
2つの流れがあるように思えます。
前者は、単純に言えば訓練やドリル学習のような反復訓練型の教材に、
ゲーム的な要素を入れた形態ですね。
ヒットした「英語○け」とか「脳○レ」やその他DSなどで売られている
多くの学習ゲームはこの形態でしょうし。
世の中にある何らかの「絶対に正しいこと」を想定し、
それを教えるためのゲームであれば、
大別すれば、こちらの属性に入るのかなと思います。
また、この流れの中に、多くの「教育のゲーミフィケーション」が含まれると思います。
例えば、何かの課題をクリアすると「○ポイント」で、
それを積み重ねるとバッジがもらえたり、評価が良くなったりするような形態です。
後者は、単純に言えないのですが(笑)、
何か特定領域の知識や技能を得るというよりは、
ゲームを通して経験を獲得したり、なんらかの気づきを得ることを目的にしたような、
目的や構造が比較的ふんわりとしたゲームです。
以前の記事でも紹介しましたが、Silseth(2012)は高校生に、
"Global Conflict"というゲームを実施し、
パレスチナ-イスラエル問題に対する多面的な理解を促すというような実践を行っています。
私のゲームだと、「かってにハッピーエンドゲーム」は、
ポジティブなキャリア観を獲得することを目指したゲームで、
もっともこちらよりかと思われます。
(詳細はこちらの記事を)
今日のお話は、このように何となく日本でゲーム学習というと前者が想定され、
後者は想定されないことが多いということに改めて気づいたということでした。)
私自身が後者のような立場からゲーム実践を行っており、
最近おつきあいがある方も、こちら側の方の考え方の方が多くなっていましたので、
現状を少し見失っておりました。
ビジネスゲームの世界では、(おそらくアメリカにおいて)
70年代・80年代は「学習成果」を目標に実施させることが多かったが、
00年代に入ると「経験の獲得」が最も多くなってきていることが分かっています(Faria et al., 2008)。
その他の領域ではまだまだですが、
少しずつ後者のゲームも広がってきているのではないでしょうか。
本題に戻りますが、ゲーム学習について話す際に、
相手がどちらのゲーム学習を想定しているのかが分からないと、
「スキルや知識を身につけさせたい」と思っているのに、
相手は「ゲームで出来る経験」の話ばかりしている…となったり、
逆に、「未来に生きる経験をさせたい」と思っているのに、
「ドリル」ばかり提案してくる…と、
かみ合わないことになりがちです。(本当はもっとかみ合わないと思います。)
研究者の間でも、ゲーム学習の効果に関するレビューなどでも、
「即時フィードバック」などの前者に関連するものと、
「複雑な問題の解決策を体験によって学べる」など、
後者に関連するものの両方が指摘されていますが、
なかなかゲーム目的や背景に注目した議論はされていないように思えます。
「もっと詳細にジャンルやタイプ別に分けて検討する必要がある」ということも指摘されていますが、
とりあえずは、この2つを区別することから始めると良いんじゃないかなーというのが、
私がかねてより思ってることです。
あまり、オチはありませんが、とりあえずこのあたりで。